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旅好き必見!東京から沖縄へのヒッチハイクの旅シリーズ!(4)広島編

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大阪のゲストハウスをチェックアウトした。画用紙に「神戸方面」と書くか「広島方面」と書くか迷った。

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大阪から西に行く場合、下手に神戸に行ってそこから広島方面にいくよりは、大阪から広島行きの車をゲットするほうが効率が良いのだ。神戸方面に行くと中央方面の高速を使うので日本海側の高速で確実に広島にいく手段を取りたかった。

個人的には広島の原爆ドームを観たかった。原子力の悲惨さ、核の脅威は決して色馳せてはならないし、いつの世代もこのテーマにきちんと向き合わなければならない。個人レベルでは何もできないかもしれないが、自分が他人に伝えることは可能だ。それが少しずつ社会に変化するかもしれないし、変化しないかもしれない。いずれにしても伝えないことには変化はしない。そういった意味でも一人でも多くの人に何かを与えられるようにこのブログを書いているわけだし、俺の経験値をあげる意味でも広島原爆ドームは絶対に訪れるつもりだった。

事実、運命的な出会いが大阪であり、彼らと広島原爆ドームに行くことになる…。これは必然だとも思えた。

大阪からヒッチハイクをして、何台かは捕まるがなかなか広島までいく車は見つからない。それでも2台捕まえて、ちょっとずつ西に進んだ。

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話はいきなり深く逸れるが、ヒッチハイクを始めるまで俺は今まであまり人を信用していなかった。他人とは彼ら自身のことを第一に考え、他人のことは正直な話どうでも良いと思っていた。実際、オーストラリアやニュージーランドの生活でも色んな人に助けられたし、他人の重要性は十分理解できる。ただし肝心なコアになる部分では自分のみが自分を助ける存在であり、最終的には自分で自分を救わなければいけないと思っていた。そしてこのイデオロギーヒッチハイクを終えた今現在もあまり変化はない。

ただし...

このヒッチハイクを通して人の可能性と自分の先入観について考えさせられた。

まず可能性だが、人の力は自分の力よりも時には遥かに強く大きいということ。ヒッチハイクでは自分の予定通りにいかない。いつだれがどこでどこまで俺を連れて行ってくれるかわからないし、それは自分の無力を意味する。つまりヒッチハイクとは他人の力のみによって自己の将来が決まるのだ。

もし仮にヒッチハイクが無事成功して、楽しい経験が出来たならば、それは自分の力ではなく、確実に他人の力によってもたらされた自己実現なのだ。何が言いたいかというと、他人=自分なのだ。何故ならいかなることも他人の存在が関わるからだ。

あとはそれを自分の力のみで進んだか、それとも他人の力を借りて自分の力を得たという「見方」と「イデオロギー」の問題だ。いずれにしても他人の存在なくして自分の形成はない。それが人の可能性だ。

二つめの「先入観」についてだが、これは別の表現で言うと「期待」「妄想」「思い込み」「想像力」という言葉にも言い換えられると思う。全ての言葉に共通する概念は、全て未来に関わるということ。

例えばあなたがアメリカに1週間旅行で行ったとする。そして誰かに2回、別の人にそれぞれ人種差別的な言葉を言われたとする。するとあなたはこう思うだろう。「アメリカ人は最悪だ」と。そして1週間の滞在を終え、アメリカ人の印象を聞かれた際にあなたは他人に同じことを言うだろう。これは「先入観」に多大な影響を与える。それは全て経験によって変わるからだ。

経験することはとても大切だがそれが全てだと決めつけてもいけない。たかが80年ちょっとの人間の寿命で真実もくそもわかったものではない。そしてたかだか何十億の地球の歴史の一人の人間の考える期待、妄想、思い込み、創造、未来は全て無に等しい。ニーチェが唱えた「神は死んだ」というニヒリズムに近いと思う。

それでも人は未来に希望をもってこれらの要素を常に持ち続ける。それは哲学的な話になるがキルケゴールが最後に最終形態として幸せになる究極の方法とはいわゆる、「神」*絶対的なものの前に立ち、希望を持ち、身を任せると唱えたがそれほど人は何かに頼っていかなければいけない弱い動物なのだと思う。

それでも俺は、未来というのは存在せず、今しか時はないと思う。何故なら未来は自分の力を超えるからだ。1時間後でさえの未来もわからない。確率的に「予測」は出来るがそれも「妄想」。天気予報と変わらないのだ。だから俺はhere and now 「ここ今」という言葉が好きだ。人生は極端に言うと、「今」この瞬間が絶えず続いているだけなのだ。つまり未来を信じない。未来という概念すら無にする。今が終わったら「過去」。それだけなのだ。*正確には過去も存在しないと俺は想う。

そんなことを考えていると、俺は大阪のインターチェンジヒッチハイクした、一生忘れない夫婦の話を書かなければと思う...

 

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続く...