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格安で究極にタイを満喫する旅。チェンマイの寺院で10日間の瞑想をしてきたら驚くべき変化が…‼(3)

 

 

educationchannel.hatenablog.com

 *↑ 前回の記事 まだ読んでいない方はこちらも是非

 

 

……

瞑想7日目。

良い意味でも悪い意味でも瞑想生活に慣れてきた。慣れというのは恐ろしい。もう夜ご飯を7日間も食べていない。それなのに身体は絶好調。無駄な脂肪もとれて腹筋も割れてきた。ダイエットには持ってこいの寺籠り生活だなんて思ったりもするほど精神的な余裕も出てきた。

朝4時起きも自然となり、普段朝ご飯をあまり食べない俺も朝6時半になればお腹も空く。1日3食は健康に良いという常識もだんだんと疑う自分がいた。何故なら1日15時間何も食べないほうが寧ろ調子が良いのだ。

食生活に関しても一体何が正しいのか、規則正しいのか色々考えさせられる。あのヨガや瞑想で有名な片岡鶴太郎氏は一日1食のみの生活をしている。もし仮に彼が100歳まで生きたとしたら健康についての定義も色々変わってくるだろう。1日3食は不健康だという事も十分にあり得るかもしれない。

話は俺の瞑想体験に戻る。

此処Wat Ram Poeng はメインホール、ライブラリー、レポートルーム、フロント、食堂が主な施設で、ほとんどの瞑想者はメインホールかライブラリーで瞑想を行う。前回紹介したwalking meditationは外でも出来るので、境内の中心部にある塔の下で行う人が多い。↓こちらがその塔

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夜になるとろうそくをたてて瞑想も出来る。とても落ち着ける環境だが蚊が多いので虫よけスプレーが必要になる。↓ *写真一番手前は一緒に10日間瞑想をしたAlex

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こちらはライブラリー↓ 実際俺が一番瞑想の時間を費やした思い出の場所

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レポーティングについてはまだ触れていなかったが、午後3時から5時の間にレポーティングと言って、瞑想者がモンクのところを訪れ一日の感想みたいなことを報告する決まりがある。モンクは日常会話程度の英語できるのでコミュニケーションは問題ない。ただこんなことも言うのもあれだが誰に対してもほとんど同じ内容を伝えていると思う。何しろ瞑想とは体験であり体験とは個人個人全く異なるものだ。impermanence「束の間」という言葉が個人的に一番心に響いた。全ての思考や考え、感情は「束の間」だと言う。人生は「儚く、そして束の間」とも言える。束の間だから出来るだけ頭に入ったらすぐ外に出す意識をしなければいけないという。束の間のものだから中にとどめてはいけないのだ。束の間とは幻想のようなものだのだ。幻想であればそれは無いに等しいものである。つまりそれによって惑わされてはいけないのだ。だから外に出すことによって心がクリアになる。

 

そして「emptiness」。日本語で言うと「空」*そらではない、くうである。よく色即是空、空即是色という言葉を聞いた人はいると思うがその「空」である。

 

前回でも少し書いたが、くうとは何もゼロを意味しているわけではない。ゼロとイチの間とも言える存在がemptinessだとモンクは表現した。

俺のモンクは幸せと不幸せのどちらでもない状態をemptinessと表現した。

人間はついつい物事を対極に考えてしまう傾向がある。例えば、love(愛)の対極はhate(憎しみ)、ポジティブとネガティブ、上と下、生と死、美と醜...例を挙げればキリがない...。 ここからはちょっと難しくなるのでゆっくり読んで理解してほしい。↓↓

 

人間99.9%と断言出来るくらいの割合でポジティブはとても良いことだと考える。同様に愛はとても良いことだと考える。当然「幸せ」「喜び」「美」これらの言葉はとてもパワーがあり人生にとても良い影響を与える。とても良いことだ。至って当たり前のことだ。幸せが良いことではないと批判する人は殆どいないだろう。

ただしここからが問題である。

99.9%の人間はそれらの対極と認識している概念をまるで悪い要素かのように認識してそれらを直視しようとはしない。直視しないどころか、それらは本来は付随しているはずの要素なのに全く別のものとして切り離している。

 

え?どういうこと?何が言いたいの?

そう、ここで言いたいことは人間がついつい見ないように蓋を閉めていること。

例えばネガティブ思考。ネガティブとは良くないことと認識してポジティブになろうとする。例えば憎しみ。憎しみとはとても良くない感情である。例えば死。死を考えないようにする。例えば不幸せ。不幸せは良くないと考える。99.9%の人間は先ほどの上記で挙げたものとは対極とも言えるこれらの概念を一部としてとらえていない。

え?まだ何が言いたいかわからない?

 

つまり「幸せと不幸は重なり合っているもので切り離して考えることはできない」のだ。同様に「生と死」「ポジティブとネガティブ」「愛と憎しみ」などなど全て重なり合っている。イメージとしては手の甲と手のひらの両面があって「手」が成り立つのと同じ。

モンクが「幸せでもない不幸せでもない境地が瞑想のたどり着くべく場所である」と言ったが、その両方も網羅したまるで宇宙の果てのような壮大なスケールの観点から理解するのが本当の幸せを理解することにつながるのかもしれないと思った。言葉で書くのは容易だがそれを体験するのは理論や理屈では無理な話だ。ここがよく誤解されるところだが、個人的には、なにもモンクが「幸せなことを考えるな」と言っているわけでは思う

幸せとは不幸と重なり合っていることを理解した上で幸せを理解すると言いたいのだと思う。こういう類の話はとても難しいし、理論、論理、理屈や科学で説明できる事柄ではないのでついつい毛嫌いしてしまう人も沢山いると思うが、少なくともこれを読んでくれている読者にはこういう世界の存在意義というのをなんとなく日常生活で意識してほしい。

何故ならこれらのことはとても価値のあるもので、とても役に立つからである。目に見えるものがクローズアップされる資本主義の枠組みの世界だからこそ余計に哲学やスピリチュアリティの重要性が挙げられると俺は思う。でなければ何故今頃になってニーチェの本がベストセラーになる?心理学や哲学は実学には全く結びつかないのにそれでも読者がそれを求めているのは何よりの証拠だと思う。

資本主義=お金、金融をベースとする価値とその重要性を表す主義だが、お金でさえも単なる「幻想」でありその幻想によって人々は狂ってしまっている。お金とは「信用」で価値が決まるのだ。「信頼」とは幻のようなもので結局はお金でさえもBuddhaの「無」に関わってくる。投資、FX、株、最近俺も始めたビットコインでさえすべて「信用」である。人の心理で価値が変わる儚いものだからこそ人々はより高度な「信用」に幸せを求める。お金を得るのは決して悪いことではないがやはり「中観思想」で捉えるべきではないだろうか。( ・´ー・`)

 

それにしても「幸せでも不幸せでもない境地とは一体どんな状態なのだろう」と暫く考えていた...。

 

そして瞑想8日目...

 

とうとう俺の身体に最初で最後の異変が起きた...!!!

確か午後2時くらいだったと思う。いつものようにライブラリーで瞑想をしていた。開始20分頃。

本当にあの時は「無」の世界に入っていた。ひたすら呼吸に意識を集中させていたがやがて呼吸にすら意識しないステージに入った*本来呼吸を意識して生活している人は殆どいないが、瞑想の場合呼吸を意識させてから呼吸の無意識状態に入る。

呼吸にすら意識しないというのは少なからず「無」の世界の入り口に突入したと俺は個人的に思う。それまでは色んな思考やマインド、感情が頭の中に入ってしまい呼吸にすらフォーカスできない。つまり呼吸のみに集中することが出来るというのは相当大変なことだ。ここまでおおよそ80時間以上の瞑想時間を費やした。せめて「無」の入り口くらいには行きたい。そんな想いだった。。

 

呼吸にすら意識しないということは全てにおいて無意識状態になった。ただし寝ているわけではない。矛盾しているかもしれないが「意識」はあるからだ。

そしてその「意識」がいきなり自分の身体全体に向けられた!!!

 

言葉では説明できないが表現としては、自分の体内の細胞(セル)を一つ一つ眺めている感覚だ。

中学生の頃理科の実験で顕微鏡を使ってミトコンドリア葉緑体などを観察しているような感覚で自分の身体を眺めていた!!

 

なんなんだこの感覚はっ!!!

 

此処で直観的にわかったことが一つあった!!

 

それは自分とは何億個という宇宙のような無数で壮大な細胞の一つ一つの集合体であり、それを自分の内側(意識)からそれらを観察しているのである。観察というよりはただ単に眺めている状態に近い。

眺めてはいるがそれは自分の内側から眺めているので、対象物が外側にある感じではなかった。

言葉では説明不可能なので写真でイメージしてほしい↓。

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 これを眺めている感覚...

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 こんな感じで自分を見ていた。自分を生物学的に眺めていた。血液の流れや僅かな筋肉の動き、血管の収縮などもイメージできた。もしあなたがこれらの写真のようなものが自分と認識したらあなたは初めにどう思うだろうか?

 

俺は直観的にこう思った...

 

...

...

人間は精神であり、その精神とは全く無いものだと...。

 

...

...

つまり何が言いたいかと言うと、色々今俺が考えていることや思考や感情全てのことは「無い」のだ。何故なら自分とはこの細胞の集合体だからだ。この細胞の集合体に意識などあるはずがない。単なる細胞だ。そしてこの細胞も本当は無いんだろうなと思った。

そしてとてもすがすがしい気分になった。時間にしておおよそ2分くらいだろうか。そしてまたマインドが邪魔をしてしまい普段の瞑想に戻った...

 

これが8日目に起こった俺の体験。これは俺の個人的な実体験なのでこれが何なのかは全くわからない。ただ俺の勝手なインスピレーションで言わせてもらうと、人生に意味はなく、自分の考える思考や感情はあるようで無いということを肌を通して理解した。

これが俺の体験...

これを読んでいる人が同じように瞑想をして同じ結果や考えになるかはわからないが別に俺はどうも思わないし人それぞれでいいと思う。なにしろ個人的には今書いた通り、何も意味はないということを感じたので特にそれに関しての答えや考えも要らないからである。(どう書いたらいいかわからないが笑)

 

その後の2日間を無事済ませてとうとう10日間の瞑想が終わった。。。

一緒に瞑想をした瞑想者達↓

 

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1日目の様子f:id:uluru-2008-koichi:20171114203719j:plain

↓ これが俺

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コースが終わった後は言うまでもなく他の瞑想者達と暫く会話を楽しんだのだった!!!

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そして次の日はタイで最大のお祭りとも言われる 超神秘的、幻想的なロイカトンフェスティバル!!

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次回はそのお祭りに行ってきた様子をブログでアップします!

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小さなヘルプが世界を変えると信じていますので暑苦しいとは思いますが是非ご協力宜しくお願い致します!!


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