旅好き必見!東京から沖縄へのヒッチハイクの旅シリーズ!(10)鹿児島から沖縄へ!!
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ヤッホー!
ということで有言実行!急遽鹿児島からフェリーで沖縄に行くことに決めた。フェリーは14000円もしたがこんな機会はめったにないので迷わずチケットを買った。奄美大島、徳之島などを経て約25時間かけて沖縄本島に到着するらしい。
俺は船がいささか苦手なので定番のあれを購入した。
しっかり飲んだので全く酔わなかった。
そして目の前にある大きな桜島もしっかり写真に残した!
この時点で帰りは沖縄から東京へ飛行機で帰る計画をAlekと話し合った。つまりもう鹿児島には戻ってこないし、ここが最後のヒッチハイク地点となる。流石にフェリーのヒッチハイクは不可能であるからだ。東京から此処鹿児島までよくたどり着いたなぁという感傷に浸っていたかったが、連日の猛暑と汗だくの体、そして重い荷物が「早くフェリーに乗れ」と言い出した。
海は絶景だった。Alekがとても舞い上がっていた。彼女は海が大好きなようだ。ポーランドは綺麗な海やビートがないらしく、あっても寒くて泳げないらしい。そういえば東京から此処鹿児島まで一度も海やビーチには行っていない。そういう意味では沖縄を選んだおれの直観は正しかったのかもしれない。
ちなみに船の中はこんな感じ↓
一室に大勢が寝れる感じだ。これで14000円。もうちょっと払うと2等席で個室になるらしいが俺はこれで十分だ。シャワーも別室で利用できるし問題ない。
ところで船の中は多少退屈だったのでふと財布の中にいくら入っているか確かめてみた...
1000円札が12枚入っていた。え...…
俺の感覚ではまだ2万円以上残っていると思っていた。この旅の所持金は87000円。つまり東京から鹿児島で75000円使ったということだ。もちろん移動費はほぼ0円。食費も1日1500円程度に抑えていた。では原因は何だ!?
…
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答えは水だった。
今回のこのヒッチハイクは真夏の天候ということもあって常に水分補給をする必要があった。そしてこのフェリー代。この2つで20000円は使っていた。
これから沖縄で約9日間生活すると一日に使える金額はおおよそ1300円。宿は一切使わず、ビーチで寝る。まあ最悪、ニュージーランドからの銀行から引き出せる裏技が出来るができるならそれはタッチしたくない。
これから本当の意味でサバイバル生活がはじまる!
ゆっくりとした波のように揺れるフェリーの中でtechnoを聴きながら浅い睡眠をとった。浅い睡眠を何度か繰り返した。船酔いは全くしなかったが、ゆらゆらとゆっくり寄れながらテクノを聴いて横になっていると何故だかとても憂鬱な気分になった。
俺は早く快晴の沖縄のビーチに行きたかった。それから約24時間後、フェリーは沖縄本島に着いた...
続く...
旅好き必見!東京から沖縄へのヒッチハイクの旅シリーズ!(9)福岡→鹿児島編!!
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前回の日記↑
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福岡市内のゲストハウス、目下午前10時...。猛暑という言葉に相応しい天気だった。チェックアウトを済ませ近くの公園で朝ご飯を食べる。
ふと携帯で東京の天気を調べた。「雨」だった。ちなみにこのヒッチハイクの約1週間の間毎日「雨」らしい。ヒッチハイクをして本当に良かったと思った。此処福岡は汗が止まらないほどの暑さである。
福岡の地を踏むのは今回が生まれて初めてだが福岡市内はこれといって特に東京と変わらない。かといって湯布院の方までいく時間がないので1時間くらいでいける(大宰府天満宮)神社を調べて電車で向かうことにした。
そして猛暑の中を歩いてようやく着いた!ぱっとした印象は京都のようだった!相変わらす人の量は沢山いる。オーストラリアやニュージーランドの田舎に住んでいると日本の田舎と言われるところでも十分すぎるほど人口も多くインフラも整っていると感じる。此処はプチ京都のような場所で風情ある神社や雰囲気は訪れる価値がある。↓
とても良い場所には間違いはないがこの猛暑とヒッチハイクと旅も中盤を迎えていたので多少疲れていた。
旅人ならわかる人はわかると思うが、旅をする=常に新しい景色や場所、或いは人との出会い、食べ物だけを巡るわけではない。言葉で説明するのはとても容易ではないが、ある程度の長期的な旅の場合、旅自体が生活となるので時には何もしない時間(日常的な時間)も絶対に必要なのである。
つまり俺はそんな心境だった。写真をみればなんとなくわかるだろう。そしてAlekは相変わらず元気だ。名古屋では約20キロの道のりを猛暑の中約7キロのバックパックを背負って歩き、車の中では泥のように笑顔で寝る。電車の中では大学から与えられた宿題を携帯で下書きメールをする...夜はKindleでドイツ語の勉強。そして日中は旅...
そんな彼女を見ていると彼女は旅をしているのではなく生活をしていると思った。つまりそれが言いたいことだ。旅=生活...。
今すぐビーチに行きたい気分だった。ビーチの前で寝そべって何もしたくない。さらに欲を言えばメロンかき氷を食べながら...
実はこの頃から「沖縄」に行きたいと思い始めた。
事実俺達は鹿児島から沖縄に行くことになるがこの時はまだ予定も立てていなかったし、予想もしていなかった...。
そんな心境で福岡のとあるSAまで歩きヒッチハイクを始めた...
事態は一気に動いた!開始10分頃だろうか...若いカップルが俺達にコカ・コーラを渡しながら、「乗せますよ」と言ってくれた!おお!ラッキー!!そして少しずつ西へ西へ進む。そして30分後別のSAに到着して再びヒッチハイク...
そしてそれから僅か15分後...
一台の車が手招きをする!!!
よっしゃぁぁぁ!!
そして俺は「鹿児島まで行きたいんです」と言った。彼らも鹿児島までいくようで難なく乗せてもらった!
運転手の彼は割り箸のことについてとても長い時間熱く語ってくれた。割り箸は環境破壊だというけれど実は木を伐採したカスの部分を利用して割り箸を作っているので環境破壊に与えるダメージは少ないらしい。それでも僕はそのカスを違うことに利用すべきだと思ったがここはディベートの場ではないし、自分の意見を心にとどめ、他人の意見に耳を傾けることの大切さを優先した。彼の話はとてもためになることばかりだった。それが実学とはつながらないが「知」=実学ではない。例えばミシンに全く興味がなくても、プロのミシンの裁縫の技術を語ってくれる人がいればそこから学ぶことはいくつかあるはずだ。それを自分なりにピックアップすれば良いのでそこに自分の意見を押し付ける必要はないのだ。つまりそんな気分だった、そしてとても眠かった...。
そして長い移動時間を経て鹿児島についた!辺りはすっかり暗くなっていた。午後9時は過ぎただろうか...運転手たちにお礼を言ってゲストハウスにチェックインした。
この日の夜...
俺は直観的に思った...「そうだ、沖縄に行こう。」
もう思った時点で事は決定していた。
賽は投げられたのだ!!
続く...
旅好き必見!東京から沖縄へのヒッチハイクの旅シリーズ!(8)広島→福岡編‼ パート2
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そして俺達はいよいよ福岡県に向けて出発した!運転手の彼はとても大人しい感じではあったが1年間かけて様々な大陸を船で周った経験があると話してくれた。「人は見かけによらず」という言葉をこのヒッチハイクを通じてよく使う。他人の経験はその人が口を出して表現しないと理解できない。そしてその経験を聞いて自分の人生にとても糧になる場合もある。
続きを読む旅好き必見!東京から沖縄へのヒッチハイクの旅シリーズ!(7)広島→福岡編‼
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運命的な出会いの余韻に浸り再びヒッチハイクをスタートさせる。マッキーペンで画用紙に「北九州方面」と書く。
そして複数でヒッチハイクをする場合は鉄則だが(サービスエリアで)、それぞれ違うポイントに立つこと。一人はよくあるガソリンスタンド付近、もうひとりは食堂付近の道路に立つことも出来る。俺達は東京から此処広島までそうやってきた。
そして俺がガソリンスタンド付近に立ちAlekがその10メートル手前の徐行する曲がり角に立っていた。始めること僅か10分。早速車を捕まえた!写真はないがとても静かな女性が止まってくれた。そしてとても静かな佇まいで小さな声で「どうぞ」と言ってくれた。そして俺達はあっという間に山口県に進んだ!
彼女はなんとなく山口県ぽい印象だった。こんなことを言うととても失礼だが、東京の方に住んでいるとなかなか山口県のイメージが湧かない。俺の周りに山口県出身の友達もおらず、修学旅行でも大阪、京都、広島はよく聞くが山口県は殆どない。だが福岡まで行くと温泉で有名だし、九州まで行くと関西とはまた違った観光地として人気がある。つまり「山口県」のイメージがなかった。
彼女は声を振り絞るかのように、山口の特徴を簡潔に話してくれた。小さな声だったので聴くことに集中したがどこか力強さが感じられた。綺麗な海、魚が美味しいらしい。山口で観光しても良かったのだがこの日は予定上福岡まで行きたいというのが本音だった。
そして無事山口県のSAに到着した。時間はもう4時を過ぎていた。幸い天候が良かったのでまるで午前中のような快晴だった。しかし7時ともなれば周りは暗くなりなんとかして市街地まで到着して宿を確保しなくてはいけなかった。
新しい画用紙に「福岡方面」と書いたが最悪の場合(*SAで寝泊まりテント)を考え、まずは此処を出ることを優先して「山口市内」と書くべきだとAlekが提案した。確かに時間は3時間を切っているので大きな字で「山口市内」と書いた。
それから約1時間が経っただろうか。。。
車が捕まらない。
もう5時は過ぎている。SAでテントというオプションは避けたい。虫、蚊が沢山いて、何しろ蒸し暑い。そして広島で歩きまくったのでシャワーも浴びたかった。
そして時間は着々と進んでいた。気が付くと辺りはピンクとブルーの綺麗なサンセットが見え始めていた。
これはやばい。もう午後6時は過ぎただろう。今頃福岡に進む車もいないだろう。なにしろここからは軽く2時間はかかる。夏休みのシーズンが終わっていた事もあり俺達のいるSAはとても静かで閉鎖的だった。それはまるでニュージーランドの雰囲気と似ていた。
Alekの口数も減り、二人から笑顔は消えていた。俺は辺りを見渡し、今日はどこにテントを建てようかとイメージしていた。
...
そんな時一台の車がいきなり止まった!!
これはラストチャンスだと思った。そしてAlekが車を捕まえ俺が声をかけるという鉄板の流れで車を確保した!運転手の彼は福岡の福岡市まで行くらしい!
絶望からの生還!!!!
とても感じの良い静かなひとだった。こっちの人は静かな人が多いと勝手に思った。大阪からこっち側のヒッチハイクに限って言うと、意外に静かな人が多い。大阪なんて聞くととても明るくてうるさいイメージがあったが実際にはおとなしくてシャイでとても親切な人ばかりだった。
兎にも角にも俺達は救われた。
そして福岡の市内に向かった...
旅好き必見!東京から沖縄へのヒッチハイクの旅シリーズ!(6)広島編 ラスト
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こうして満腹になったところでヒッチハイクを再開した。
さきほど別れたゆういちさん達は遠くでまだタバコを吸っている。
ふと隣を見ると大学生くらいの若い男の子達もヒッチハイクをしている。
天気は快晴でとてもすがすがしかった。そして約5分ほど経って、ゆういちさん達がタバコを終えて車に向かう姿が見えた。そしてゆういちさんが俺らのところに来て、ボソっと言った...。*(写真↓)
「よし一緒に広島行くか!」
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「えっ?????!!!」
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「乗せてくよ、乗りな。」
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俺はゆういちさんが無表情でしかも小さな声で言うので大阪人はこういうジョークもあるのかと一瞬考えた。しかしゆういちさんの顔は冗談ぽくもないし至って真剣である。あのICからここまで連れてくれてさらにランチまでご馳走になったばかりで俺は幸せの余韻に浸っていたのでうまくこの状況が理解できなかった。まるで宝くじで5万円当たった後に誰かが道で俺に向かって「あなたに10万円を俺に寄付したい」と言われているような気分だった。
まるで数分間のような数秒の沈黙でようやくゆういちさんとたまえさんが本気で言ってくれていることを理解して車に乗った。Alekも一体何が起こっているのか理解できずに俺に尋ねてきたが俺もいまいち理解できなかったためとりあえず笑顔で「yes!」と言った。彼女も「yes!」と笑った。こういう時は言語は必要ないのだと思った。
そして車は広島に走り出した。
すると、たまえさんが口を開いた。「あなたのヒッチハイクをしている笑顔で私たちは乗せたくなったのよ。」
確かに俺は常に笑顔でいることを心掛けていた。これは何もヒッチハイクに限ったことではない。笑顔で嫌な気分をする人間なのはほとんどいないし、いたとしたらそれは俺に非がない気がする。そして笑顔は自分のためでもある。人間は笑顔を無理やりでもすると自然と前向きになれる気がする。俺は笑顔が人の心を掴むということを学んだ。
そしてたまえさんが続ける。「一緒に広島観光しよう、今日と明日の1泊2日でね。せっかくだからさ、私たちも機会がないと広島に行かないのよ」
至れり尽くせりでは表現できないこの状態でさっき会ったばかりの人たちと1泊2日旅行。まるで海外にいる気分だった。こんなにオープンマインドな人達と出会ってうちらは幸せすぎていた。そして急いで泊まる場所をそれぞれ確保して広島に向かった。
そして走ることおおよそ2時間。
広島に着き、早速広島原爆ドームを訪れた。↓
素敵な写真だと思った。家族ではないが家族のような写真だった。断っておくがこの写真のシャッター音の4時間前はうちらは全くの赤の他人であり、見たことも会ったこともない人間同士だった。ヒッチハイクをして人と人とがつながった。
その後資料館を訪れたが感受性の高い俺はとても嫌な気分になった。戦争の悲惨さ、核の脅威は人間が一生償わなければならないとても厳しいものだったからだ。核爆弾の数は世界で30000発以上存在するらしい。
俺はどこかで、この世界は核爆弾10個で世界を終結することが出来ると聞いたことがある。ある意味世界はもう終わってしまったのかもしれない。
気分転換にゆういちさんらが夕食に行こうかと誘ってくれた。
大きな大きな美味しいイカが目の前に広がった。さっきまでのどんよりとした気分が一瞬で吹き飛んだ。俺はとてもシンプルな人間だと思った。
お酒が弱い俺はちょっと梅酒を飲んだだけで酔っ払いそうになってしまった。そして人の話はあまり興味がない俺が何故か今日の日は違っていた。俺は人の体験談を聴くことはとても自分のためになるし良い経験だと思った。
たまえさんとゆういちさんは当たり前だがとても「大人」だった笑
大人というよりは「魂が綺麗」いう表現が正しいのかもしれない。色々な話をして俺はなぜだか感情が高ぶってしまった。気づいたら涙が自然に流れた。それは主体が「肉体」ではなく「心」から流れた液体のようだった。つまり理屈ではないのだ。
俺は今まで自分が苦労したとか辛かったとか振り返ることはほとんどない。いつも平然とした日々でやるべきことをやる。それを苦労とは思わず、やるべきこととして目指す、そういう感覚だからだ。つまり周りから見て苦労しているように見えることもやっている本人は意外にそうではないのだ。ただそれを他人に焦点を当てて考えた場合、人に人生もいろいろあるものだと考えさせられた。
こうしてとても濃い広島の初日を終えた。
広島2日目...
2日目は宮島神社に行くことになった。この日は猛暑。汗がとまらない。34度はあるだろうか?
まさにここは絶景だった!沢山の観光客と猛暑!たまえさんもゆういちさんもこの暑さには応えているようだった笑 正直あのAlekでさえもこの日はやばい暑かったと言っている。
そして広島焼きを食べて宮島を後にした。
そして僕らは広島付近のサービスエリアまで連れて行ってもらい、ここで本当に最後の最後となるお別れの時...
最後にうちらからポストカードにメッセージを書き、ゆういちさんとたまえさんに渡した。
こうしてうちらは別れた。
...
...
一日は一瞬で終わった。これは旅という言葉でも、人生という言葉でもあまりかわらないと思う。
何事も一瞬で終わる。寂しく聞こえるかもしれないが、だからこそ今を一生懸命生きる。とても大切なことだ。そして、始めることは終わりがあるが、終わりは始まりだ。
とても前向きな気分でヒッチハイクをする気分になれた。
ゆういちさん、たまえさん、ありがとう...
旅好き必見!東京から沖縄へのヒッチハイクの旅シリーズ!(5)広島 後編!
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そしてここが運命の場所、とあるインターチェンジ!*写真↓
見てわかる通りここはかなり危険な場所!というのも殆どの車がETCで通過するので通過後に徐行するのは後方の車にとってとても迷惑なのだ。たがインターチェンジは通常5レーン以上のゲートがあるので通過後はスペースが広がっているのでそこに車が止まってくれる事を祈った。
今まではSAやPAでヒッチハイクをしていたので此処が初めてのIC。なんだかとても嫌な予感がした。そしてその予想は5分後に的中した。
5分後...
ICの橋の上から警備員の恰好をしたおばさんがうちらを上からまるで寝起きのような体たらくの眼をしながらこちらを見つけていた。
俺は「やばい、注意される」と直感で思った。
だから至って平然とした眼差しと態度を装った。こういう時は相手にいかに冷静に見えるかだ。ただ現実的にICで2人の人間が高速道路内で立っていたらどう考えても問題だ。そんなことは重々承知であった。
そしてそのおばさんがゆっくりと螺旋状の階段をコツコツを音を立てて降りてきた。俺は全く目をあわせないようにした。それでもその足音は確実に近づいてきた...
「コツコツコツ...」
ふとAlekを見るとサングラスをしててもわかる満面の笑顔でヒッチハイクをしている。知らぬが仏とはまさにこの状況だと思った。
そしてAlekがいきなり動き始めた。
そしてその瞬間警備員らしきおばさんが俺に声をかけた。
「ここは人が入ってはダメダメ!!危ないんだよ!ヒッチハイクはだめよ!」
俺は「あ、そうなんですか!では安全をきちんと確認しながら行いますね、すみません。」
おばさん「いやいやそういう問題じゃなくて、ここはダメなんだよ、違うところでやってください、あそこにいる女性もあなたの知り合いですか?とにかく今すぐやめてください!!」
事は一瞬で絶望的な状況になった。何しろここは大阪から40分以上も離れた市街地。ここで高速を降りたらどう考えても今日中に広島に着けない。そしてこのおばさんの頑固たる顔と態度に俺はもう諦めるしかないと思った。
そしてAlekの方を見ると、彼女の前に一台の車が止まっていた。ICの横のスペースにAlekと一台の車が平行して並んでいるのだ。まるで小学校の頃、理科の授業で習った、乾電池を2つ平行に並べた実験のようだった。
つまりAlekがヒッチハイクを成功させようとしているのだ。
なんというタイミングなんだろうと俺は神の存在を信じそうな気持ちになった。
急いでその車に向かい、広島方向にいきたいんです、とにかくここを出たいのです!と率直な今の状態を2秒で伝えた。そして伝えながら体はもうその車の中にいた笑!
しかし警備員らしきおばさんはそれでもうちらを止めようとしている。一体世界はどうなっているんだと一瞬思った。如何なる形であれ、俺は此処を今まさに離れようとしているのだ。それでも彼女は俺らが車に乗るのを必死に食い止めようとしている。
ここが危ないのはわかっているし迷惑をかけたとも思っている、おばさんに申し訳ないとも思った。ただその状況は今終わろうとしている、俺がこの車に乗ってこの場を去ろうが、乗らずに去ろうが何も変わらないのではないかと思った。
とにかく俺は天使のような存在の運転手にお礼を言い、今すぐ出発してくださいとまるでドラマで観るタクシー運転手への決まり文句のように懇願した。そして何回もお礼を言って、広島方面に向かった。
乗せてくれたのはゆういちさんとたまえさんというカップル。(写真↓)
たまえさんは今日近くにバーゲンセールがあるため買い物をしたいということでここを通ったようだ。本当に助かった。命の恩人だった。
そして意気投合してあっという間の次のサービスエリアに着いた。これだけで本当に助かった。ところが、ゆういちさんが「お腹すいてるでしょ、ごはんたべよ」と言ってくれた。正直お腹が空きまくっていた。たがここは日本人の建前として「いいえ大丈夫です」というか、外国人のように「ありがとうございます」というか迷っていた。
俺はAlekがお腹がすいている事を実は知っていた。気づいたら僕らの足はサービスエリアの定食屋に入ってちゃっかりと席について腰を降ろしていた。言葉より行動とはこのことだろうか。
あのICであのタイミングで助けてもらい、目の前にはとんかつ御前が繰り出されている。「最高」という言葉は今日のために存在すると思った。
そしてありがたくご馳走になり心は満たされていた。そして最後にお水までもらってそのSAでお別れをした!とても幸せな体験をした!!
ところがさらなる出来事がすぐ起こった!!!
続く...
旅好き必見!東京から沖縄へのヒッチハイクの旅シリーズ!(4)広島編
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大阪のゲストハウスをチェックアウトした。画用紙に「神戸方面」と書くか「広島方面」と書くか迷った。
大阪から西に行く場合、下手に神戸に行ってそこから広島方面にいくよりは、大阪から広島行きの車をゲットするほうが効率が良いのだ。神戸方面に行くと中央方面の高速を使うので日本海側の高速で確実に広島にいく手段を取りたかった。
個人的には広島の原爆ドームを観たかった。原子力の悲惨さ、核の脅威は決して色馳せてはならないし、いつの世代もこのテーマにきちんと向き合わなければならない。個人レベルでは何もできないかもしれないが、自分が他人に伝えることは可能だ。それが少しずつ社会に変化するかもしれないし、変化しないかもしれない。いずれにしても伝えないことには変化はしない。そういった意味でも一人でも多くの人に何かを与えられるようにこのブログを書いているわけだし、俺の経験値をあげる意味でも広島原爆ドームは絶対に訪れるつもりだった。
事実、運命的な出会いが大阪であり、彼らと広島原爆ドームに行くことになる…。これは必然だとも思えた。
大阪からヒッチハイクをして、何台かは捕まるがなかなか広島までいく車は見つからない。それでも2台捕まえて、ちょっとずつ西に進んだ。
話はいきなり深く逸れるが、ヒッチハイクを始めるまで俺は今まであまり人を信用していなかった。他人とは彼ら自身のことを第一に考え、他人のことは正直な話どうでも良いと思っていた。実際、オーストラリアやニュージーランドの生活でも色んな人に助けられたし、他人の重要性は十分理解できる。ただし肝心なコアになる部分では自分のみが自分を助ける存在であり、最終的には自分で自分を救わなければいけないと思っていた。そしてこのイデオロギーはヒッチハイクを終えた今現在もあまり変化はない。
ただし...
このヒッチハイクを通して人の可能性と自分の先入観について考えさせられた。
まず可能性だが、人の力は自分の力よりも時には遥かに強く大きいということ。ヒッチハイクでは自分の予定通りにいかない。いつだれがどこでどこまで俺を連れて行ってくれるかわからないし、それは自分の無力を意味する。つまりヒッチハイクとは他人の力のみによって自己の将来が決まるのだ。
もし仮にヒッチハイクが無事成功して、楽しい経験が出来たならば、それは自分の力ではなく、確実に他人の力によってもたらされた自己実現なのだ。何が言いたいかというと、他人=自分なのだ。何故ならいかなることも他人の存在が関わるからだ。
あとはそれを自分の力のみで進んだか、それとも他人の力を借りて自分の力を得たという「見方」と「イデオロギー」の問題だ。いずれにしても他人の存在なくして自分の形成はない。それが人の可能性だ。
二つめの「先入観」についてだが、これは別の表現で言うと「期待」「妄想」「思い込み」「想像力」という言葉にも言い換えられると思う。全ての言葉に共通する概念は、全て未来に関わるということ。
例えばあなたがアメリカに1週間旅行で行ったとする。そして誰かに2回、別の人にそれぞれ人種差別的な言葉を言われたとする。するとあなたはこう思うだろう。「アメリカ人は最悪だ」と。そして1週間の滞在を終え、アメリカ人の印象を聞かれた際にあなたは他人に同じことを言うだろう。これは「先入観」に多大な影響を与える。それは全て経験によって変わるからだ。
経験することはとても大切だがそれが全てだと決めつけてもいけない。たかが80年ちょっとの人間の寿命で真実もくそもわかったものではない。そしてたかだか何十億の地球の歴史の一人の人間の考える期待、妄想、思い込み、創造、未来は全て無に等しい。ニーチェが唱えた「神は死んだ」というニヒリズムに近いと思う。
それでも人は未来に希望をもってこれらの要素を常に持ち続ける。それは哲学的な話になるがキルケゴールが最後に最終形態として幸せになる究極の方法とはいわゆる、「神」*絶対的なものの前に立ち、希望を持ち、身を任せると唱えたがそれほど人は何かに頼っていかなければいけない弱い動物なのだと思う。
それでも俺は、未来というのは存在せず、今しか時はないと思う。何故なら未来は自分の力を超えるからだ。1時間後でさえの未来もわからない。確率的に「予測」は出来るがそれも「妄想」。天気予報と変わらないのだ。だから俺はhere and now 「ここ今」という言葉が好きだ。人生は極端に言うと、「今」この瞬間が絶えず続いているだけなのだ。つまり未来を信じない。未来という概念すら無にする。今が終わったら「過去」。それだけなのだ。*正確には過去も存在しないと俺は想う。
そんなことを考えていると、俺は大阪のインターチェンジでヒッチハイクした、一生忘れない夫婦の話を書かなければと思う...
続く...